論文を書くということ

今週末は、書きかけの論文をようやく片付けました。今日は、医学論文・臨床研究について一般の方向けにご紹介したいとふと思いました。一般の勤務医が臨床の傍で臨床研究をする場合についてです。
一般の方でも、「医学論文」という言葉を聞いたことはあると思います。たまにニュースでも、「どこどこ大学の医師らが新しい治療法を発見し、医学雑誌どこどこに論文を発表しました」といった文面を見聞きしますね。
医師の中には、生涯の中で一編も論文を書かない方もいますし、たくさんの論文を書いている先生もおります。つまり医師全員が論文を書いているわけではありません。
そもそも論文を書いても基本的には「一銭にもなりません」、むしろ場合によっては結構出費します。英語での論文を書くわけですから、世界各国の研究者がそれを読んでわかるような英語で表現しなければならず、native check(英語を母国語とする翻訳家に英文を校正)してもらう必要があります。これには最低でも数万円かかります。
また最近の論文の一部にはopen access journalといって、論文掲載に際して論文を書いた研究者が自ら掲載料を払う必要があります。これにも最低で掲載料として数万円〜10万円程度かかります。
また論文のデータの解析のためには、解析ソフトを購入することもあり、ものにもよりますが万単位でやはり費用かかかります。
病院や研究機関がこのような費用を負担してくれる場合もありますが、もし個人として研究し、臨床の傍で論文を書こうとするのならば、このような額の費用がかかってくるわけで、一方で無事に論文が掲載されたとしても基本的には誰からも金銭を受け取ることはありません。
そして何よりも、論文を書くというのは、初学者にとっては非常にハードルの高い作業でして、数時間とか数日というレベルではありません。私が初めて英論文を書いたのは、比較的忙しい市中病院での勤務のときでした。医師として5−6年目だったと思います。平日は日常業務で忙しいため、論文を書く時間はまずありませんでしたので、土日の朝に病棟を回診した後、少しずつ書き続けました。何ヶ月もかかりましたし、もちろん最初はお世辞にも出来た英語ではありませんでした。書いた原稿を上司に見てもらい、修正に修正を重ね、英文校正を依頼して、論文投稿しました。
実はここで終わりではありません。論文の質が悪ければ、一流の医学雑誌には掲載されません。オンラインで投稿するのですが、投稿の翌日にはreject(掲載に値しません)の丁重なメールが届き、振り出しに戻ります。
2流の医学雑誌の投稿し、その編集者になんとか興味を持ってもらって、初めて後半戦が始まります。つまり、査読という戦いが始まります。詳しくは述べませんが、査読が始まってその後に見事論文の掲載に至るまで、数ヶ月は要します。
もう一度言いますが、こんなに時間と労力を費やしても、経済的には何の恩恵もありません。もちろん病院での給料が上がることもありません。
<ではなぜ論文を書くのでしょうか>
大学病院などの研究機関で出世を考えているのであれば(研究機関での研究を続けたいと思えば)、論文の業績は必要不可欠です。ですが、それが論文を書く一番の理由としている方は少数だと思います。
一番の理由は、医療を行う日々の過程で必然的に生じてくる臨床的な疑問点や課題があります。その多くは世界中の誰も答えを知りません。ですから自分達で研究して答えを求めていく必要があり、この探索作業が研究であり、その成果を発表するのが論文なのだと思います。
例えば、このブログでも何度か紹介しています「自己免疫性てんかん」ですが
10年以上前にはその存在すら誰も知りませんでした。「てんかん」の歴史は非常に深く紀元前400年にはその概念が知られていましたが、「てんかん」と「免疫・アレルギー」を結びつけた人は21世紀まで誰もいなかったのです。
最初の発見者が「自己免疫性てんかんという病態があるかもしれない」という発表をし、その研究を世界中の研究者が知り、「どうやら自己免疫性てんかんはたくさん存在するらしい」、そして「どうやら特徴的な症状や発作や検査結果があり診断に役立ちそうだ」、さらには「どうやら免疫治療で発作がとまる可能性がある」というように、一つ一つの研究がバトンリレーのように繋がっていき、「どの治療法がベストなのか?」という壁に現在到達しています。このようなバトンリレーの継続で、最終的な結論まで導かれていきます。
つまり、一つの論文だけで解決できるものはほとんどなく、世界中の研究者のバトンをつなげていくことで、大きな発見・新しい概念や治療法の確立というのがなされます。ですから、自分が論文を書くときには、まだ知らない未来の研究者へのメッセージにもなることを意識して書く必要があります。またたとえ自分ではつまらない研究結果になったなと感じても自分がやったことは記録として残すということが大事です。現段階では「つまらない」ものかもしれませんが、将来の研究者が見たときには「大きな発見のきっかけ」になるかもしれません。
<論文を書く書かない>
ここまで説明しましたように、論文を書くことは大変な作業ですが、科学・医学の進歩には必要不可欠であり、このバトンリレーを続けていかなければいけません。
「論文なんか書くより目の前の困っている患者さんを少しでも治療したい」というのは当然の意見です。研究しかしていなければ目の前の患者さんを救うことはできません。ただ、研究・論文作業を行わなければ現在の医療の限界が変わることはありません。治療法がなく目の前で困っている患者さんは、誰かが研究をしなければいつまでたっても「困っている患者さん」でしかいられないわけです。
つまり、「論文なんか書くより目の前の困っている患者さんを少しでも治療したい」と医療の最前線で身を削りながら働く医師も必要ですし、研究と臨床をバランスよくこなす医師も必要で、研究の最前線を引っ張っていく研究に明け暮れた研究者も必要であり、バランスが大事ですということですね。
少し酔いしれたような内容になりましたが私自身、研究者としてはまだまだ初学者レベルです。ですが、幸い臨床の合間を縫って臨床研究を続けていく労力にさほど苦痛を感じません。今後も研究は続けたいと思いますし、未来の研究者への実りのあるメッセージを少しでも多く残せたら良いなと思っています。
このブログが若手臨床医、しいては若手研究者の何かのきっかけになれればなお幸いです。
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